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2005年新連載
旅をする土佐の杉

第一章 「木の生い立ち」

 U 四万十川をカヌーで旅する


 早朝。テントの中で目が覚める。自分が一体どこにいるのか一瞬わからない。
昨夜遅くに仕事の後車を走らせ四万十の川原に着き、ヘッドランプの明かりを頼りにテントを張って、寝袋にもぐりこんだのだった。
 しばらく呆然として、ようやくその状況を思い出し、寝袋にすっぽりと入ったまま大きく息をする。ものすごい冷気が鼻腔を刺激し、涙が出そうなほど「つーん」となる。テントの外はまだ薄明かりがようやくさし始めたばかりらしい。再び寝入ろうとするが、これまで四万十を訪れた時のことがしきりに思い出されてなかなか眠りに入れない。
 しばらく目を閉じて周囲の音に聞くともなく耳を傾ける。
静寂の世界。
 春には聞かれるであろう鳥たちのさえずりもまだ聞こえない。そういえば、はじめて四万十に訪れたのは風薫る五月の頃で、その時は夜明けとともに鳥たちのさえずりが一斉に聞こえ出し、その不規則ではあるが心地よいリズムにしばし聞き惚れていたものだった。
 しかし、今はまだ二月。次第に春の気配を感じるといえどもやはりまだ朝の冷え込みは厳しい。鳥たちもまだ一日の活動を始めていないようだ。
そんな事を考えながらようやく正常な思考を取り戻し、寝袋にもぐりこんだまま寝返りをして、手を伸ばしてテントのジッパーを開け、夕べかろうじて準備しておいたバーナーに火を入れる。バーナーの勢いよく燃える音を聞きながら再び仰向けになり、テントのルーフを見つめてまだ明け切らない朝の光を感じる。テントのシートは朝露でべったりと濡れており、そのしみの一つ一つが世界地図のように様々な形をつくっている。数年前に訪れたアラスカ州のような形のしみはないだろうか・・・。
バーナーにかけた湯の沸騰する蒸気でテントの中の温度もだんだんと上昇し、ようやく人心地を取り戻し始めた。今日一日カヌーで四万十川の「ちいさな旅」をしよう。春、夏、秋は訪れたことがあったが真冬の二月に訪れたのは今回が初めてのことだ。
テントの外も次第に朝の光がさしはじめ、今日一日天気もいいらしい。
バーナーにかけていたコッヘルの湯をシェラカップに流し込み、コーヒーを作る。温かいコーヒーを一杯のみ、ついでに枕元においていたウイスキーの小瓶を一口「グイ」とあおればようやく身体が目覚め、思い切って寝袋のジッパーを下げることができる。ゆうべ寒さのために急いでテントの設営をしたのでテントの中は散乱している。カメラ、本、ヘッドランプ、ウイスキーの小瓶、コッヘル、PFD・・・。この小さな旅の必要最低限のものがテントの中に所狭しと入り乱れ、ともに寒い夜をすごしたのだ。
 しっかりと防寒してテントから出る。広い川原にはこのテント以外に何一つない。川霧が川面一面にはびこり、とても幻想的な風景を見せている。
 再び大きく深呼吸して朝の神聖な空気を胸いっぱいに吸い込めば、久しぶりの四万十があらためて迎えてくれているような気がする。鳥たちもようやく一日の活動を始めたようだ。さえずりがどこからともなく聞こえてくる。
 ゆっくりと身支度をすませて、朝食の準備にとりかかろう。今日はほぼ半日のカヌー行なのでそれほど気負わなくてもいい。かるい朝食だけで十分だ。これが北極圏の川を旅する場合なら、朝から高カロリーの朝食を摂り、寒さと疲労に備える必要があるのだがここは冬といえども南国の地。それほど気負う必要もなかろう。のんびり構えればいい。ゆうべ来るときに備えておいたパンをかじり、この日二杯目のコーヒーを飲む。キャンプ・チェアーに腰掛け、ゆったりとした気持ちで早朝の幻想的な川の風景に見入る。
 下流のほうで川舟が一艘浮かんでいるのが見える。
「川漁師だろうか・・・?」
川漁師のいる風景。こんな真冬の寒々とした風景の中でも、一艘の川舟が漂い、川漁師の姿があるだけでこの川がただの水の流れであるだけでなく、より人の暮らしとつながっている川本来の姿であることに少し安心し、この川になんとも言い難い愛おしさを感じる。
 この気持ちははじめて四万十を訪れたときから感じていたのだが、その根源はいったい何なのであろうか・・・・。
山と、川と、人の暮らし。これらが互いに繋がりあった関係がこの風景と、この情感を生んでいるのだろうか・・・。
 いつのまにか川霧もどこかへ消え、朝の光が次第に川原を照らし始める。テントの中から寝袋やマットを取り出し、テントの上に干し、朝日にあててやる。こうやって一体いくつの川原での朝を迎えたのだろう。
 テントの撤収の前にカヌーの組み立てを始める。その組み立ての手順はもうなれたものだ。二十分ほどで完成。4ピースのパドルも接合してなんどかその場に立ちパドリングしてみる。一度川面に浮かんでしまえばほとんどパドリングすることはないのだが、カヌーイストの一種の儀式のようなものなのである。
テントも撤収し、いよいよ「川の上の民」に。

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 パドルでゆっくりと川原を蹴り、音もなく水面に浮かんで行く。そのまま流れの真ん中にカヌーを進め、周囲を見渡す。
鏡のように凪いだ四万十の水面に前方の山の連なりが写っている。空気が澄んでいるせいか空は雲ひとつなく、真っ青な空。水面より6,70センチの高さの視線で見るこの風景がいつもながらなんと新鮮で、美しいのだろうか。冬の渇水のため若干水量は少ないが、水の透明度は近年汚れてきたといってもやはりまだ高い。カヌーの船影がくっきりと川底に写っている。まるで、カヌーにのって中空を飛んでいるかのようだ。
 缶ビールのプルトップを「ぷしゅっ!」と開け、大きく一口飲む。朝のビールのなんと旨いことか!
パドルを手元に置き、足をカヌーのデッキの上に投げ出して川面に漂っていると様々な思考がめぐってくる。
特にカヌーで旅して、この風景を目にする度にいつも思うのが、この四万十川にかろうじて残っている、古き良き日本の川の原風景が維持できているのはこの地がただ単に僻地であったからだと言うのはあまりに寂しすぎる。そのことも要因のひとつではあるが、一番大きな要因は流域の人々の川への思いがそれを可能にしたのではないだろうか?ということだ。さらに、それは川に恩恵をうけて暮らしている流域の人々の思いだけではなく、源流域の山に暮らす人々の思いもまた深く関わっているのではないだろうか・・・?四国、特に高知県に多い雨を最初にうける四国山地の山々が四万十の澄んだ流れを今に残してくれている大きな要因となってはいないだろうか・・・?
昔から森林を手入れする人たちがいて、その事を生活の糧にしている人たちのこの川への思い。それこそが山や川、そしてその川が流れ出る海までも健全で豊かなものにしてきたのだろう・・・。
前方のほうからかすかに瀬音が聞こえてきた。このコースには緊張しなくてはならない瀬はないはずだ。一応缶ビールを股に挟み、パドルを構えるがほとんどパドリングせずに瀬を通過。さらさらという瀬音にほんの一瞬春の気配を感じる。30センチほどの水深で、流れるように、スムーズにカヌーが行く。再び缶ビールをのみ、パドルをおいて周囲の風景に目をやれば、はるか上空で鳶が旋回しているのが見えた。やはり、春が近いのだろうか・・・。この気配はもうすでに冬のものではない。
沈下橋のたもとで上陸し、一休みすることにする。この沈下橋は流域随一の写真スポットで対岸の道路から写真を撮ったり、川を眺めたりする人影が見える。この季節にカヌーをしているのを見て一体どのように思うのだろうか。やはり奇特に見られるのだろうか?
川原に、マットを敷いて寝転び、空をながめる。時折沈下橋の上を車やバイクが行き来し、そのたびに沈下橋がかすかに揺れているような錯覚を起こす。初めて四万十を訪れたときはこの沈下橋がとても珍しく、旅の途中に出会ったすべての沈下橋の上で写真を撮ったものだ。
二本目の缶ビールを飲み干し、再び流れの上の人となる。
周囲の山々はまだ冬の姿のままだが、ところどころに新芽らしきものが確認できる。この新芽たちが一斉に芽吹きだす新緑のころの緑の鮮やかさはいつ見ても心躍らせるもので、その光景を目にするだけで、この四万十や他の清流をいまだ有する高知県の素晴らしさを改めて実感するのだ。
流れの両側の木々の新緑が猛々しく盛り上がり、まるでこの四万十の流れに覆いかぶさらんとするように見える山々。もう少しすればそんな心躍る光景に出会える季節がやってくる・・・・。
今年はいったいいくつの素晴らしい光景に、この四万十で出会えるのだろうか・・・・。
春の気配を感じながら空を眺めてそんなとりとめのないことを考えながらカヌーは漂って行く。
四万十は何度目かの蛇行をくりかえし、いくつかの支流の流れ込みや、いくつかの小さな集落を過ぎ、ゆっくりと下流のまちへカヌーを運んでくれる。
大きく左に蛇行すると、今日の「小さな旅」の目的地である集落が見えてくる。
まだまだこのまま漂っていたいという少し名残惜しい気持ちと、この何度も訪れている大好きな集落に再びやって来ることが出来た、という再会の喜びのような気持ちが複雑にからみ合い、パドルをこぐ手の動きがままならない。この集落のシンボルでもある古い沈下橋がだんだんと近づいてくる。
さあ、今日最後のパドリングだ。長い瀞場を一気に漕ぎ、沈下橋のたもとの川原に上陸。
カヌーを岸に着け、少し温んだ水に足首までつかり大きく一呼吸して今回の「小さな旅」を終える。
 
明日、この四万十源流の森から、次のログハウスになる杉の丸太がアイビーログ工房にやってくる。今日のこの素晴らしい一日をおくらせてくれた四万十川。
その源流からやってくる木材に心からの親しみがわいてこないはずがない。
 この気持ちが素晴らしいログハウスをたてる原動力になっていく・・・・・・・。
〜終わり〜

 

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