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保志場君のログビルダー日記
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保志場朋宏(ほしばともひろ) 日本の有名企業に就職後、脱サラ。 突如、 単身アラスカを自転車で放浪後帰国 というなぞの経歴をもつ。 自然をこよなく愛するビルダー、らしい。 |
2002.09
この夏は工房で刻みをしていた。真夏の刻みははじめてで、かなり体力的に参った。特にまだ梅雨が明けきれてない六月末から七月にかけての時期が一番きつかった。汗をかく量が本当にケタ外れで、いったいおれは「人間」なのか、「アセ」なのかわからなくなる状態になるときさえあった。
しかし、そんな暑い時ですら横を見れば、長年仕事をしてきた先輩や、親方は黙って暑さに耐え、黙々を作業を進めているのだ。おそらくオレの考えでは、ログビルダーこそが最も暑さに強い人種なのではないかと思う。そんな事を考えながら、汗まみれになって「オレもまだまだがんばらなアカン」と奮起するのである。
そうこの六月にとうとう結婚しました!
三年前にたった一人で高知に移り住んでから、毎年少しずつ変化、もしくは成長してきたつもりだったが、今年の変化がいままでのオレの人生のなかで最も大きな変化となったのだ。これまでの一人暮らしの気ままな生活とは全く違う生活になった。当たり前のことだが「もう1人ではない」ということだ。全てにおいて。
そしてまた、個人的に一番大きく変わったのが、明らかにまわりの風景の見え方や、自分の今住んでいる土地や、高知県に対する愛郷の念がさらに大きくなったという事だ。一人でこの土地に住んでいた時にいつも抱いていた距離感が消えてなくなり、もっと身近に感じるようになった。
毎朝通勤で走る道から見える山間の風景や、工房で見る青空や夕日、また、現場のすぐ近くを流れる仁淀川のゆったりとした流れさえもがどこかで自分達とつながっているように感じるのである。
まだまだ四国の中でも訪れたことのない所がたくさんあるけれども、一つ一つ二人で訪れていくたびにまた、よりこの土地がより身近に感じていくのだろうと思う。
そして、少しずつだけれども、この四国の良さをもっといろいろな人達に知ってもらいたいと思うのだ。
もう一つかわったのは食生活だ!!!毎朝、朝食をしっかりとるようになり、弁当もとてもカラフルに、バランスもよくなったし、(前は弁当を開けると、色が2色しかなかった)夕食はここ数年全く食べなかったものや、目にしなかった物も食べている。今年の夏は、本当によく野菜を食べ、バランスのよい食生活だった。おかげで食生活に対する考え方もずいぶん変わった。これから秋になりますますいろいろな物がおいしくなる季節なので本当に楽しみだ。
だんだんと涼しくなっていくにつれ仕事もやりやすくなってくる。良い空気を吸い、おいしい物をたべ、どんどん遊び、さらに素晴らしいログハウスをたててゆきたいと思っている。
2002.01
今年の夏に新しいカヌーを買った。
いわゆる「ファルトボート」というやつで、アルミのフレームと、強度のあるビニールの船体布からなる組み立て式のカヤックだ。もう何年も前から手に入れたくて、カタログを取り寄せては何日も眺め、ため息をついていたのだ。その念願が今年の夏にやっとかなった。
一人乗りと二人乗りのどちらでも可能で、なおかつ軽くて、100Lの専用ザックに収納できるので、バックパッキング感覚でカヌー旅が出来るのだ。しかも沿岸域なら海での使用もできるというすばらしく幅の広い遊びの出来るカヤックだ。
購入した日にさっそく家の中で組み立ててみた。ああでもない、こうでもないと一人でぶつぶつ言いながら汗だくになって組み立てていると以外と大きい。全長が4m50cmあり、我が家の二部屋にまたがって完成した。
「かっこええ・・・」
いろんなアングルから眺めては感動し、おまけにライフジャケットと、パドルも取り出して家の中で乗ってみた。(かなり「アホ」と思うかもしれないが、同じ境遇の人ならたいてい似たようなことをしていると思う)それだけでもうこの新しいカヌーで四万十川を旅した気分になれた。なんて幸せなやつなんだろう、俺って・・・
この秋だけでも4回もカヌーにでかけたが、本当はもっと行きたかったのだ!
とにかく新しいカヌーを手に入れて、ますますカヌーにはまりそうな雰囲気だ。来年はシーカヤックにチャレンジしようと思う。徳島の南の方の海が面白いらしい。楽しみ。
先日また家の中で組み立てて、メンテナンスしたついでにまたまた家の中で乗ってしまった・・・(う〜ん、あほやなあ)カヌーツアーももっと面白くしたいし、もっと多くの人達とも出会いたいなあ。そしてもっともっと多くの人達にカヌーの良さを知ってもらいたいなあ。
2002年がはじまった。2001年にはいろいろあったが、そのうち半年は香川でログハウスを建てていた。また以前に檮原で仕事をした時の施主さんからも招待していただいた。そして先輩からも多くのことを学んだし、新しい仲間もできた。(ついでにカヌーも買った)
2002年には、新しいアイビーログ工房の1人としてますます素晴らしいログハウス作りをめざしてゆく。また個人的には四万十カヌーツアーをもっと広めてゆく。
何事もどんどん進歩してゆく年にしたいと思ってます。
みなさん、よろしくお願いします。
2001.10
この仕事に就いて良かったと思う事。
まず、「飯がうまい」オレは、昔から人並み以上に大飯食らいだが、この仕事を始めてからさらに輪をかけて食べる量が増えた。
その量は常人の想像をはるかに越える。時々ふと我にかえりこのオレのめしに対するパワーをもっと他の事、例えば地球環境のためや宇宙開発という、世の中、人類にとって役に立つ事に使えないものだろうかとさえ思う。それほどスゴイ・・・
会社員だった頃も他の新入社員がどんどん痩せていく中オレだけがどんどん太っていったくらいよく食べた。しかし、今のオレはあの頃よりもさらに食う。ただ食う。そして一つ違うのが会社員のころは周りに女の子がたくさんいて時々「太ったんじゃない?」と言われたりしたのである日気がついて無理して少なくしたりしていたが、今は周りもゴツイ男ばかりという状況、誰がそんな男の目を気にして太ったかどうかなんて気にするだろうか?とにかく仕事を終えてその後食べるごはんのすごい事。それは、すばらしい。
第二にやはり大きな空の下で働けるという事だ。高知の空はオレが今までいろんな地で見上げてきたどんな空よりも大きくそして青いように思える。これも会社員の頃、営業中に車の窓からみてはため息をついていた空とは見え方が全く違う。あのころはどんなに晴れ上がった日でも、今ほど空を見上げてうれしく思った事はなかった。むしろこんなはれた気持ちのいい空の下、なぜ車に乗って営業しなければならないのか?なぜ働かなければならないのか!?というようなワガママ極まりない考えを巡らせていたくらいだった。
そして休日にいくら田舎の方に空を見に行っても「また明日になればゆううつな気持ちで空を見上げるのだ」という思いが常に頭の中にあり本当に心の底からリフレッシュしなかった。
しかし、今は違う。
工房での作業中、時々手を休めて空を見上げる。真っ青な空に白い雲がはるか遠くまで浮かんでいる。おだやかな山並み上空高くに鳥の群れ、心地よい風・・・。そして息をのむくらいの真っ赤な夕日。
どんなにつらくても、そんな空を見て救われる事が多い。「やっぱりおれの選択は間違ってなかった」と改めて思える。
旅で訪れていた頃にみていた空とも印象が少し違う。それは、もっとオレにとって身近なものに感じるのだ。だから、今は内装仕事よりも工房での加工仕事のほうが好きだ。
最後はなんといっても「ログハウス」を通じて何人ものすばらしい人々に出会えたという事だ。まず、アイビーログ工房のスタッフ先輩たち、同僚、それから幾人もの施主さん達、他の業者さん、行きつけの居酒屋の主人などこの仕事についてから何人もの人と出会った。そしてその人々はオレの今までの人生の中でも特に印象に残る人々となっている。
何年もの間夢に見ていたログハウスをとうとう実現した施主さんもいれば夫婦のプライベートな別荘として建てる施主さんもいる。まだ若くて早くも自分のベースキャンプとなるようなログハウスを建てる人もいた。皆それぞれのログハウスというものに対する格別の思いをもった人たちでその生き方、思い入れに建てるほうのオレもとても刺激を受けている。さらにケタハズレに腕のいい大工さん、もいれば、すばらしい仕事をする左官さん、屋根屋さん、電気屋さんという仕事師とも出会う事ができた。
そしてまた「やはりオレの選択は間違ってなかった!」と思うのだ。
高知、そしてログハウスはすばらしい!!
2001.2
ある程度の年齢になって、物事の分別をわきまえるようになってから、それまでの価値観だけで物事を判断するのではなく、一歩ふみとどまって違った面から物事を考えることができるようになるのはいかに難しいか・・・ということをちかごろよく考える。ログビルダーという世界に入ってもう2年が過ぎた。実際に2年やてみてこの仕事に対する考えや見方が変わったのもあるが、今思うのは、この仕事の奥深さを改めて実感している、という事だ。まず、仕事において自分に嘘をつけない、という事。
ログは年月とともに収縮する。いくら完成時の見てくれがよくても必ず変化が生じる。その時に自分に嘘をついた仕事をしていればそれが100%現れ問題がでてくる。だから口先だけのきれい事や見てくれだけの美しさを求めるのではなく、本当に先の事を考えた仕事が求められる。その時、その時に嘘をつかずに仕事をするという事。それがこれからのログビルダーに求められる姿勢ではないかと思う。それには木の事を熟知していなければならないし、なによりも自分たちがたてるログハウスに心の底から愛着をもってのぞまなければならない。
3年目に入り、もう一度これまでにやってきた事を再確認し、いったんそれを横においてもう一度新たな気持ちで臨んでいかなければならないと近頃思うのだ。
今夢中になっている少林寺拳法の教えの中に、「我等、一切の既往を精算し、初生の赤子として純真単一にこの法修行に専念す」というのがある。これはおれのもっともすきな教えの一つで、これまでの価値観を一度なくし、全くの真っ白な心で新しいことを学んでいこうという考えだ。未知の事に挑戦していこうという気持ち、そしてそれを受け入れてゆく柔軟性を持つという事、簡単な事のようでこれがなかなか難しい。だがそれなくして新しいものは生まれない。これはどんな世界にも通じる事だと思う。
春が近づいてきた。先週美良布で初めてウグイスの鳴き声を耳にした。家の花壇のチューリップが芽を出した。仕事中時折うっすらと汗をかく。春は近い。
代筆 ハーブおやじの感想・・・冒頭、FAXが読めないところがあり***で表現してあります。また保志場君に送ってもらいます。木はたとえ材木になっても生きていますよね。以前法隆寺をなおした宮大工さんの書いた本(題名忘れた)にも同じような事が書いてありました。いやあ、春が近づいてまた保志場くんが大人になったようです。がんばってね〜
2001.1
久しぶりだ、とりあえず21世紀を迎え、おめでとうございます。今世紀もあいかわらずマイペースで生きていこうと心に誓うのである。
前の日記からもうかなりたつ(すいません・・・!)が、その間、おれ自身の環境がずいぶん変わった。まず第一に、南国から香北町の一軒家に越した。いろいろな人に世話になり運良く美良布の町中に空き家を見つけそこに住んでいる。家賃は以前の半分になり、しかも小さな庭付き、とても雰囲気のいい家で、少し古いが味がありとても気にいっている。フロは、薪と灯油で毎日わかし休みの日はたいてい家でのんびりするようになった。雑草だらけだった庭もなんとか手を入れ、今では菜園に姿を変えている。隣近所との交流があるというのもうれしい。前のアパートでは、結局二年住んだが、両隣りにどんな人が住んでいるかというのもわからずじまいだった。先日、二軒隣りのおばさんにサツマイモをどっさりいただき、ちかごろの食卓はもっぱらイモづくしである。おかげで、腸の調子がすこぶる良い。
小さいながらも菜園というものはいい。とにかく、休日にすべきことが増えた。雑草を抜いたり、肥料を加えたり、日々成長してゆく野菜を見るのがとても楽しみだ。一つ気がかりなのは、ホウレンソウの種をまきすぎて、春の収穫の頃には今度はホウレンソウづくしになるかもしれない・・・という事だ。
第二に車を変えた。前に乗っていたのは、S57年式のジムニーで、2サイクル、サビだらけ、穴だらけの車で、これも運良く格安で譲ってもらった。天井に穴、運転席下に穴、後部ハッチドアは開かずのドアで、ウインドウは、下がるが上がらない、エアコンもない。走行中ヘッドライトは突然消える・・・・・etc、というなかなかこれも味のある車だった。夜、走っている時いきなりヘッドライトが消えた時ほどびびる事はない。街頭がない農道や、山道を走行中は時にヒヤヒヤしたものだ。対応策として車にいつも懐中電灯を積んでいたが、これを片手で照らしながら走っている姿ほどコッケイなものはなかった。初めて彼女を乗せた時のあの怖そうというか不安げな顔は今思い出しても気の毒に思う。おまけに、左カーブをカッコ良く曲がった瞬間、右のドアがパカッと前開になったのだ。お互いにしばらくそれはなかった事かのようにふるまい、その事については口に出さなかった。
ある蒸し暑い雨の日、汗をかきながらその愛車に乗っていた時、いきなり片方のワイパーが根本からとれた。その時、「車かえよう・・・」と思った。そこからが早かった。中古車情報をいくつか見てその中で見つけた店に電話し、実物を見て即決した。
やっぱり次のもジムニーだった。
その他にもいろいろとおれの周りで変化があった。
少林寺拳法を習い始めたりといろいろあるが、それはまたおいおい報告します。
今年もよろしくお願いします。
雑誌「田舎情報」は隔月刊行なのでおれが載った12月号はまだ書店に並んでいると思う。興味のある方は本屋さんまで・・・。
代筆 ハーブおやじの感想・・・ずいぶん久しぶりですね。原稿のFAXがとどいた時、なんの原稿かわからなかったくらい久しぶりの日記です。21世紀を迎えてなんだか精神的にも、物質的にも余裕がでてきた、という感じですね。今年もがんばっていっぱい書いてもらいますので、みなさんよろしくお願いします。
2000.8
高知に移り住んだ理由の一つとして四万十川があるから、そして他にも美しい川が多く残っているからだ。初めて四万十川を訪れたのはサラリーマン時代のことで、もう7年前にもなる。初めての給料をはたいて手に入れたMTB(マウンテンバイク)にまたがり、テント、シュラフなどをザックに背負って窪川から中村まで二泊三日の当時のおれにとっては大冒険旅行だった。メシの炊き方もわからず、しかもテントの中にコンロごとぶちまけたりテントを張った場所が傾斜地で、しかも頭を低いほうにしていたので、血がのぼって全く寝られなかったり、夜中何度も目が覚め、川の水が増水していないか確かめたり・・・と今思い返すとなんて幼稚な旅をしていたのかとはずかしくなる。でも、最終日にやっと晴れあがって、もえるような新緑とその緑の中を蛇行してゆったり流れる四万十川をあらためて見たとき、一気に四万十川が好きになったのだ。
大阪に帰っても頭の中は、四万十川の事ばっかりで、関連する本を読みあさったり、何度も何度も写真をながめたりしていた。会社の自分のデスクにまで写真を貼っていた。
次の年、今度は窪川から中村まで、再び、今度は全行程歩いて旅をした。これはつらかったが自転車の旅よりもずっと面白かった。ゆっくりと風景を見て、地元の人々と話し、気に入った河原でテントをはり、毎夜、遅くまで水辺に座り、一人酒を飲んだ。中村に着いた時、ほとんど四万十川と同化していた。なんとなく気持ちが大きくなったように思えた。
帰りの列車を待って駅の近くの河原でぼんやりしていると「帰らなければならない」という理由が全くわからずそのまままた、四万十川の上流へと歩いて行ってやろうかとさえ考えた。
次の年にカヌーを手に入れ、何の知識も経験もなく誰もいない3月の四万十川を下った。この時はライフジャケットすらなくてもちろん漕ぎ方などわかるはずもなく、全くおそるおそるパドルをただわけもなくグルグル回していた。しかし川は流れているもので「オ〜▲」といっているうちに中村にたどりついていた。
水は冷たく川にはだれもいない、3日間誰とも口をきかずに終わった。ただ覚えているのは、川の両岸を黄色く染めていた菜の花の色だった。3月の四万十川は、菜の花にかこまれていた。
それから何度も一人で四万十川をカヌーで旅をした。5月、12月、3月・・・。
海外でカヌーの旅をした時も思い出すのは四万十川の風景だった。日本に帰りまず行こうと思ったのが高知で、まさかそのまま移り住もうとは思いもしなかった。
今では、オレの友人(関西の友人)たちを四万十川に連れてゆき、カヌーのガイドのような事をしている。自分の好きな場所や、気に入っている所を人に知ってもらうのが楽しくて、春と夏に企画してカヌーを楽しんだ。カヌーという遊び自体を楽しむという事を知ってもらうのはもちろん、カヌーを手段としてのみとらえて川の風景の美しさや川からの眺めをもっと知ってもらいたいと思う。
そして、また、都会に帰っても心のどこかに「今この時間も四万十川はゆったりと流れている」という事を想い、日々の暮らしの清涼剤としてほしいと思うから。
今回は、遊びの事ばかり書いてしまった。
もし、この日記を見て四万十川カヌーに興味を持たれた方、ドシドシ掲示板に書き込みお願いします。
ゼヒ、カヌーで四万十川を旅しましょう。
代筆 ハーブおやじの感想・・・ひさびさの日記です。9月の始めには、四万十川にカヌーにでかけていたようです。私もついていきたかったのですが、都合により断念。残念。また、企画してくれないかなあ。
2000.7
先日、仕事を終えアパートに帰ると、台所の床に何か黒くてゴソゴソ動く生き物がいた。思わず「ゴキブリか!?」とはいているスニーカーをぬいでたたいてやろうとした。しかしよく見ると何か違う。動きも早くないしあの不気味さもない。なんと小クワガタではないか!?
高知の人にとってはよくあることなのかもしれないが26年間大阪のあのゴミゴミした街でくらしてきたオレにとっては少なからずショックだった。
そう、大阪でクワガタをつかまえようとするとなかなか大変なのだ。というよりもクワガタやカブトムシなどは捕まえるものではなく、デパートなどで購入するものとなっているのだ。そんなクワガタがアパートの玄関で見つかるとは・・・
おそるべし高知なのだ。さっそくオレの同居人にしようとカーテンにとまらせておいた。・・・(なんてサミシイ奴だ・・・)
しかし高知はおもしろい。我が工房の近くでは、タヌキの一家に出会うし、イタチも走り回る、そしてなんといっても今の時期、我が工房はアマガエルの一大聖域となるのだ。ログの上、ブルーシートの中、倉庫、トイレ、至る所カエルがいる。ログを真剣に刻んでいるすぐ横をカエルがとぶたびに笑えてくる。除草剤などを散布すればすぐにいなくなるのだろうがそれだけはしたくない。たかがカエルだが仕事をしている横をピョンピョンとぶなんて今の世の中でなかなか微笑ましいではないか・・・と考えるのは僕だけでしょうか?やっぱり自然のままでいい。
ログハウスにも言えることだと思う。どうしてもログは雨風にあたって傷んできたり室内では割れがでてくる。これはメンテナンスである程度手入れすることができるが、自然のものゆえに完璧な状態で維持することはかなり難しい。あまりにひどい傷みならともかく、少しくらいの割れや傷みは、仕方がないというのが今のログハウスの現状ではないかと思う。しかしそんな割れや丸太が風合いを増してくるという事に対して、かえってそれを「味わい」として見るほうがより自然だと思わないでしょうか?
人も歳とともに人間としての味わいが増してくる、それとともにログハウスも歳月を重ねるたびに味がでてくる。
「そこに住む人とともに自然に歳をとってゆく家」そして何よりも「最低限の手入れをしてあとは自然にまかせていける家」そしてなによりも「長生きする家」これをテーマにログハウスを建てていこうと思います。
何か真面目な方向に行っているが、あまりに「自然に自然に」と言っても工房をそのまま放置しているとどんどん草が伸びてしまい、真夏の暑い中草むしりをするのは結局オレだからそこが難しいところだ。
翌日アパートのカーテンにとまらせておいた同居人(クワガタ)はそっと窓から外に放してあげた。
代筆 ハーブおやじの感想・・・3号ずいぶんUPが遅くなりました。なんだかちょっとわびさびな感じの保志場君。疲れているのかな?もうすぐ暑い夏も終わります。がんばってお仕事してくださいね。
2000.6.15「見習いログビルダーほしばのぼやき」
・・・梼原で思った事・・・
1週間ほど梼原へログハウスを建てに行っていた。ログハウスと言ってもフルログ(注1)ではなくP&B(注2)なのでいわば大工さんでいう建前を行ってきたのである。4日でなんとか上棟し、さらに屋根をたてるところまで行ってきたのでとりあえず雨の心配なく働くことができる。(我がアイビーログは雨が降ったら休みになる。)
現場は、梼原の町からさらに車で15分ほど山の中に入ったところで、ぽつりぽつりと集落があるだけで他は何もないところだ。しかし環境はバツグン。緑深い山々、清らかな渓流、所々に残るわらぶき屋根の民家。一昔前の日本の山村風景そのままの世界で、どことなくなつかしい感じがする。少し早いセミの声を聞きながら、青い空の下でログを組む気持ち良さは、他では味わえないゼイタクでこれだけはログビルダーの特権だとあらためて思った。
やっぱりログハウスは外観や個性も大事だが、その周りの環境によってより素晴らしくなる。何も田舎にこだわる事はないが何かひとつでも自慢できることがあればいい。
以前、香川に建てたログハウス(これもP&B)は完全な住宅地の中で、周りは家ばかりであったが、一方向だけが家が見えずに、そこには真っ赤な夕日をバックにシルエットとして浮かび上がった讃岐富士飯山がドーンと目に入ってきた。そしてその方向に面した庭に施主さんのこだわりの露天風呂があった。「露天風呂につかりながらビールをのみ目の前には讃岐富士」というのがこのログハウスの一つの大きな自慢なのだとその時思った。
梼原の施主さんが今回のログハウスログハウスでどんなライフスタイルで暮らしてゆくのか、というのも建てる側としての今後の大きな楽しみであると同時にこれからは、そういったライフスタイルやログハウスでの暮らし方なども提案していかないといけないと思った。
これを読んであなたが、ログハウスを建てるとしたら、どういう立地で、そしてどんなライフスタイルで暮らしていきたいか、夢見ていること、考えていること教えてくれたらうれしいです。それでは、また。
注1フルログ・・・いわゆる丸太小屋の建て方です。丸太を積み重ねてゆくことからノッチ工法とも呼ばれます。
注2P&B・・・ポスト&ビーム工法。アイビーさんは、最近はほとんどこの工法でログハウスを建てています。
代筆 ハーブおやじの感想・・・無事2号がとどきました。まあ、もうちょっと慣れてきたという感じですね。緑の中で仕事できるのはさぞ楽しいと思います。男ばっかりで時にはいらいらする事もあるでしょうが(笑)しばらくは梼原での生活が続くのでしょうか。私も、いつかはログハウスをいつかはたててもらいたいと思っている者の一人です。そうですね・・・ログハウスと畑をもって自給自足に近い生活をおくるのが夢ですかね。もちろん、ログハウスのまわりにはハーブをいっぱい植えて。まだまだ夢は遠そうですけど(笑)。さてさて、第3号期待してます。
2000.5.18
ホームページはあるにはあるけど、あまりに殺風景で、しかも載せるネタもないので、ここはひとつ見習いログビルダーのオレ、保志場朋宏がちょこっと一筆書くことになった。ログビルダーの日記的なものだったら、チェーンソーの使い方のコツだとかログハウスに対する熱き思いだとか感性あふれるすばらしい文章を期待するかもしれないがその期待は全くの的はずれだと今ここで断言する。だから、「ログビルダーってどんな人やろ?」「きっと夢があって、たくましくって、かっこよくて、ナチュラリストで・・・」などという今時古い幻想を抱いている女性達もしくは夢見る若者達ははっきりいって読まないほうがいい。なぜなら、もし万一年ごろの女性たちに「なんや、ログビルダーて、ただの小汚い肉体労働者やんか!」などど思われてがっかりされたりでもすれば、ただでさえ「出会い」の機会の少ないオレ達にとって打撃的被害をこうむるし、次の若者が夢見てログビルダーになりたいと思ってくれないといつまでもオレが下っ端のままだからだ。
で、ここでそういう人達は、他のホームページを見たほうがいい。
だったら、どんな事を書くの?と思うだろうが、はっきり言ってまだ全くなにも考えていないのが実情。まあ、おそらくこのおれ自身の超個人的私情と偏見に満ち満ちた、読む人によれば全くつまらん、しかし千人に一人面白いと思う人にもさっと目を通すだけという「記憶に残らない」ある意味「透明」なものになるだろうと思っている。
ただ一つここでいえるのは「嘘はつかん」という事。思っている事はありのままに、思わん事は書かんということ、これだけは今言える。
そこで、今回書いたのは、明日から出張で、しばらく書けそうにないので、今のうちに1回目を書かないとそのまま忘れてしまいそうだったので書いた。
故に次回はいつになるのか全くの未定です。では、また・・・いつか (2000年5月18日)
代筆 ハーブおやじの感想・・・な、なんという暗い文章。こんな暗い若者がまだ日本にもいたのか!という感じですね。(笑)まあ、もうちょっと慣れてくれば、文章もこなれてくるのかな?私も若い頃こんな感じの文章を書いていたような気がしますね。年とれば人間脳天気になるのかも(私だけか?)できれば、もっと軽い気持ちで原稿送ってほしいんですが?さて、2回目はあるのか?1回目にして打ち切りの予感をはらみつつ、待て、次号!
ご意見、ご感想お待ちしています。掲示板でも、メールでも思ったこと書き込んでくれたら、うれしいです。
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