| /たわごと/ |
新ルールになって面白くなったことは何もないが、つまらなくなったことはたくさんある。中段狙いの出渋りばかりで止まってしまうような見苦しいレース。先行屋と追い込み屋がそれぞれこなしていた仕事ができなくなり、踏み出し一発で勝負が決まってしまうような淡泊さ、などなど。そして、今回特に声を大にしていいたいのが、「やらない選手」の増加である。
競輪をやっていて一番嬉しいのは当たることである。それも自分が考えたとおりのレース展開となって当たるのが一番よろしい。一番悔しいのが「やらない選手」のおかげで車券が紙屑になることである。
競輪客の例にもれず、私も『お人好し』といわれるが、やる気の無いレースを見せられて、それで金を失ってなにも感じないほどではない。どうせ適当に走っているレースを、血眼になって予想して外すのも馬鹿らしい、のである。
競輪は万物の霊長たるヒトが競う競技である。当然ながら、ヒトは自分の考えにしたがって走る。だから、競輪には一着を取るために全力を尽くす選手もいれば、三着狙いも、意地とか地位とかの着以外の目的のために戦う選手もいる。勝つ気がなかったり、5〜6着で良しとして走る「やらない選手」もいる。客は、それも考慮したうえで車券を買うのが当たり前だし、またそれが競輪の魅力でもあると思っている。
やらないと思っていた選手がやるのはいい。それで外れても諦めもつくし、自分の不明を恥じもする。だが、やると思った選手がやらないのは違う。読めない自分が下手だとは思う、思うのだが近頃それで自分を納得させることが難しい。どうも馬鹿らしくなってくるのである。「やらない選手」が多すぎるから。そしてなにより、その「やらない」原因が、ルールにあるからである。新ルールが、競輪客から支持されてきた意欲ある追い込み屋の「やる権利」を奪ってしまっている。
車券買いとしての視点から意見を述べたが、近頃よく言われるスポーツ云々から見た場合はどうだろうか。スピードがアップして迫力が増したような意見も耳にするが、スピードが上がる前の、止まって団子状態の見苦しさ、出渋り合戦の情けなさなどはどう考えているのだろうか。学校を出たばかりの新人に、苦もなくひねられる程度の選手が走っているのも競輪であることを、どう説明するのだろうか。だいいち、見ていて楽しいのは、他人が一所懸命に力と技と意地で競う場合であって、戦うことをルールで否定された選手の出ている無気力競技などは、面白いはずもないと思うのだがいかがなものだろう。
いったい、日自振は競輪をどうしようと考えているのだろう。今回の新ルールで客が喜んでいると考えているとしたら、それはあまりに悲しいことである。客はさておき、大部分の選手は落車が減って喜んでいるからいいのだと考えているとしたら、それはあまりに腹立たしいことである。競輪を自力選手だけのペダルの踏み比べにしたいと考えているとしたら、それはあまりにばかげたことである。
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