| /滅びし者へ/ |
(1994年1月広島競輪場)
広島記念前節中日
やっと締め切った。2から売れている。勿論、人気になることは覚悟していた。黒いヘルメットカバーを丁寧に直してから通路へと向かう。さあいよいよレースの時だ。
第8RS級特選 1 1 白石 護(東京) 2 2 増成 富夫(岡山) 3 3 中塚 記生(熊本) 4 4 館石 文夫(青森) 5 飯田 洋介(岡山) 5 6 古川 和広(千葉) 7 桑野 治行(近畿) 6 8 浜口 健二(高知) 9 斎藤 修(千葉) ゆっくりとスタンドを見上げた。さすがは記念競輪、結構入っている。5千人くらいか。
『おりゃあああ2番、お前の頭で買ってんだぞ』
『逃げろよおおおお!!ニイぃぃぃぃぃ』
そんなに叫ばなくてもちゃんと耳には届いている。無論言われるまでもない。俺が先手を取らなくて誰が取る。号砲が鳴った。
と、勘のいい方はお気づきでしょうが、私は素人脚自慢競争に強制参加させられていました。
輪友の暖かい人生指導を受けて、発走台を離れようとした私ですが。
『ここはイッチョウ出渋ってウケを狙おう』
との私の提案を全員が無視。ただ独り完全に出遅れてしまいました。競輪ファンを信じた私が浅はかでした。2角から懸命に捲り返しましたが、もう完全に玉野ふるダビ優勝戦の吉岡状態でして。ギヤ選択を誤った5番車を抜いたのみ。三角からはサイクリングに切替えました。そこで見ず知らずの御方から『こりゃああああ踏まんかああああ』との暖かいお言葉。まあ最後にきっちりとハンドルだけは投げ込みました。
レースを引き揚げて控え室に戻りますと、誘導員の桶谷義文に『まだまだやなあ』と一笑に付されました。彼は結構、気さくな感じでした。しかし私もレースに参加し、このままオメオメと帰るわけにはいけません。
ちょうどモニターでは本当の第8Rが始まりました。施行者の人間や、レース参加者に向かって『俺なら6からや』
『どうして?』
『どうしてもや』
『ヒモはどう買う』
『まず6−6は買う。後は勘や』
三番手から9番の斎藤が伸びて一着。続いて7番と3番。
『6−5か6−3か』と脚自慢参加者
私『9−7−3と入った。4000円は無理かな』(極めて冷静に)
『どういう読みで?』
私『さあね』
6枠両者が千葉と高知の選手だったからだとは口が裂けても言えない。
私『さあさあ、こんなところで油を売っている場合じゃない。行こう』
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プレゼントの2番車の勝負服を抱え、笑う膝をだましながら特観階段を上がったのは準優の一発目の発売中。聞くところによると友が7Rで『微差ウラ』を喰ったらしい。う〜ん、出来れば生で見たかった。
時間もないので検討もそこそこに3−6と3−1。代用で的中!!。
『よっしゃあああああああああ』
お金が増えるとついつい欲が出て来て、より高配当へ高配当へと目が行く。山田裕仁の早駆け期待で、梶應−山田一本と決めていた10Rだったが、山田の早出三着期待まで買い目を広げる。
『させええええええええええええええええええええ』
山田の粘りお見事!!
私たちは4人。全員の買い目を合計するとウラに一着三着、二着三着はある。しかし一着二着がない。
しかし、私たちは比較的落ち着いていた。なぜか?。それはは昨晩、かき鍋に酢がき、広島風お好み焼き等々を麦酒で流し込みながら、深夜迄及ぶ徹底討論で、屈指の理論派集団が導きだした確信の一点勝負の会社が最終レースで発動されるのだ。
最終 S級準優 1 1 細川 貴雄(愛知) 2 2 神山雄一郎(栃木) 3 3 平田 崇昭(福岡) 4 4 岩田 明久(愛知) 5 青島 宗仁(静岡) 5 6 嶋田 誠(福岡) 7 荒金 佳男(神奈) 6 8 高井 広明(岐阜) 9 藤本 博之(熊本) 能書きは無用!!。ズバリ2−1
結果 2−3−1
既に的中後の運用方法までも検討し尽くされていた会社は一夜にして倒産。個人資産の車券はと見ると、ウラに、二着三着等々のスケベな紙切れがばらばら出て来る。
最後にタクシーの運ちゃん(最後の二本を勝負で連勝したそうだ)の『兄さん方。すけべな中穴ばっかり狙ってんじゃないの。いただくときはきっちりといただくモンだよ。今度教えようか』
との言葉に送られながら広島を後にした。
【後記】
この時は、車券の成績自体はまあまだったのですが、そんなことを神様が許してくれませんでした。帰りのJRでビールのつまみにした何かに大当たり。一緒に帰った三人合計で、病欠計5日間という悲惨な目に遭いました。40度を超える発熱、「のぞみ」ばりの超特急の下痢、期待通りの展開でウラ食ったときのようなおう吐感、とにかくひどい目にあいました。わたしたち三人が当たることは極めてめずらしいことなのですが。・・・
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